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東京地方裁判所 平成11年(ワ)15074号 判決 2000年12月13日

原告

須賀実

被告

岩崎金次

主文

一  被告は、原告に対し、金五五〇万八六四一円及びこれに対する平成八年一二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分について、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金二二五五万〇〇〇〇円及びこれに対する平成八年一二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、幹線道路の横断禁止場所において、赤信号により渋滞停止中の車両間を横断した者が、走行してきた普通乗用自動車に衝突されて負傷した交通事故について、負傷した被害者が、自動車の運転者に対し、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき、損害賠償を求めた事案である。

一  前提となる事実

1  事故の発生

次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した(争いがない)。

(一) 発生日時 平成八年一二月二四日午後二時ころ

(二) 事故現場 東京都品川区西五反田三丁目一四番先路上

(三) 加害車両 被告が所有し、かつ、運転していた普通乗用自動車(品川七七ち三五五二)

(四) 事故態様 赤信号により渋滞停止中の車両間を、道路左方から右方へ横断中の原告に、右折をするために右折車線を走行してきた加害車両が原告に衝突した。

(五) 結果 原告は、右膝関節内腓骨骨頭骨折、腰椎挫傷、頸椎挫傷等の傷害を負った。

2  原告の治療経過及び後遺障害

(一) 原告は、城南病院に次のとおり入通院して治療を受けた(甲四の1ないし8、五の1ないし9)。

(1) 入院 平成八年一二月二四日から平成九年二月三日(合計日数四二日)

(2) 通院 平成九年二月五日から同年六月三〇日(症状固定。実通院日数四三日)

なお、原告は、少なくとも、症状固定前に昭和大学病院整形外科に一回、症状固定後にくぼい整骨院に三回、東京警察病院に二回は通院しているが(甲四の9ないし12、三〇、三一)、原告は、これらの通院を主張せず、損害においても、これを前提にした主張をしていないので(右の書証によっても、治療費及び文書料は不明である。)、以下において、これらの通院は考慮しない。

(二) 原告は、平成九年六月三〇日に症状固定の診断を受けたところ、右膝の疼痛や関節可動域制限の後遺障害が残存し(甲六)、自動車保険料率算定会において、自賠法施行令二条別表の後遺障害等級第一二級七号の「一下肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの」に該当する旨の認定を受けた(争いがない)。

3  責任原因

被告は、加害車両の保有し、これを自己のために運行の用に供していたから、自賠法三条により原告に生じた損害を賠償する責任がある(争いがない)。

4  損害のてん補

原告は、自賠責保険及び被告から、三八三万七四八九円の支払を受けた(争いがない)。

二  争点

1  過失相殺

(一) 被告の主張

事故現場は、通称山手通りという片側二車線(右折車線が存在する場所は三車線)の交通量が極めて多い幹線道路の右折車線内であり、歩行者横断禁止規制がなされている。

被告は、山手通りを中目黒方面から大崎方面に走行し、事故現場先のかむろ坂下交差点で右折するため、右折車線に車線変更した。そして、赤信号に従って停止するため時速一五キロメートルほどに減速して二〇メートルほど進行し、かむろ坂下交差点の横断歩道付近にさしかかったところ、加害車両の進行方向に向かって左側から右側へ横断してきた原告に衝突した。

このように、原告は、事故現場が、かむろ坂下交差点の横断歩道がすぐ見える地点で交通量が多い場所であり、かつ、歩行者横断禁止規制がなされていたのに、この場所を横断した重大な過失があり、その過失割合は、五〇パーセントを下らない。

(二) 原告の主張

争う。

原告は、被告から「脇見をしていた。このままでは免許取消になる。何とか助けてくれ。」との強い懇願があり、穏便処理に協力する代わりに、被告は、原告の過失を主張せずに賠償に応じる旨の合意があった。

2  休業損害及び逸失利益を中心とした原告の損害額(原告が主張する損害額等は、争点に対する判断中に記載したとおりである。)

第三争点に対する判断

一  過失相殺について(争点1)

1  事故態様

(一) 前提となる事実及び証拠(甲二、三三、乙一、二の1ないし10、三、一二、原告本人[一部]、被告本人)によれば、次の事実が認められる。

(1) 事故現場は、中目黒方面(西方向)から大崎方面(東方向)に東西に走る交通頻繁な環状六号線(通称山手通り)上であり、中目黒方面から大崎方面に向かう車線(以下「内回り車線」という。)が右折車線を含めて三車線(右折車線以外を、歩道寄りから順に「第一車線」、「第二車線」という。)、対向車線が二車線となっている。内回り車線が北側で、対向車線が南側であり、双方の車道の幅員は合計一五・七メートルで、その両脇には幅員三・六メートルの歩道が設置されている。内回り車線の事故現場から約四〇メートル以上西側は二車線で、右折車線に相当する部分にはゼブラゾーンが存在しており、この事故現場から約四〇メートル西側の地点から、次第にゼブラゾーンが狭くなって右折車線となり、事故現場から約一五メートルほど西側の地点からは完全な右折車線となっている。事故現場から約六〇メートルほど東側の地点には、信号機による交通規制の行われているかむろ坂下交差点が存在し、ここには山手通りを横断する横断歩道が設置されている。以上の事故現場付近の状況は、別紙現場見取図のとおりである。

衝突地点は、内回り車線の右折車線上で、歩行者横断禁止の規制がなされており、車道の南北に接する歩道にはその標識が設置されているが、この付近を横断する歩行者もいる。車道の最高速度は時速五〇キロメートルに規制されている。

(2) 被告は、加害車両を運転し、山手通りの内回り車線の第二車線を走行し、かむろ坂下交差点に近づいた。かむろ坂下交差点の対面信号の表示は赤色であり、第一車線と第二車線は停止車両で渋滞していたが、右折車線は空いていた。被告は、かむろ坂下交差点で右折するため、右折車線に入りながら、時速三〇キロメートルほどに減速した。

他方、原告は、事故現場の南側でラーメン店を経営しており、山手通りのこの付近が歩行者横断禁止とされていることを認識していたが、事故現場の北側にある弁当店で弁当を購入して自分の店舗に戻るため、北側の歩道において第一車線と第二車線の渋滞の状況を確認して、その車両の間を南側に横断し始めた。

原告は、右折車線を横断する前に西側方向を確認したもののそれが十分でなく、加害車両に気がつかなかったため、右折車線を横断しようと一、二歩進んだ。被告は、これまでにも事故現場付近を走行し慣れており、歩行者が横断するとは考えなかったため、それ以外に注意が向いて前方注視を怠った。そのため、右折車線上を横断し始めた原告に初めて気がつき、ブレーキをかけたが間に合わず、加害車両を原告に衝突させて衝突地点から数メートルの地点に停止し、原告は、加害車両の少し前に転倒した。

(二) この認定事実に対し、原告は、加害車両はゼブラゾーンを走行して速度を上げていたと主張し、それを窺わせる事情として、第一車線と第二車線の渋滞車両の最後尾は、ゼブラゾーンよりもさらに西側の方であったとして、ゼブラゾーンを走行しないと右折車線に入れないとの趣旨の供述をする(原告本人)。

しかし、被告は、本人尋問において、渋滞車両の最後尾は、ゼブラゾーンがなくなる付近(東端付近)までであったとして原告と異なる供述をしており、その他の証拠を踏まえても渋滞車両の最後尾の位置を明確に認定することはできない。仮に、最後尾の位置が原告が供述するとおりであるとしても、ゼブラゾーンで速度を上げていたと推認させる事情は存在しないし、かえって、衝突地点から、加害車両の停車地点及び原告の転倒地点までの距離からすれば、速度を上げていたと認定するには疑問もあり、その他、加害車両が速度を上げて右折車線を走行してきたと認めるに足りる証拠はない。したがって、原告の主張は採用できない。

また、原告は、本人尋問において、右折車線を横断し始める前に一度立ち止まり、右方(西方向)を確認したが車両は一台もなかったとして、右方を十分確認したかのように供述する。しかし、さらに、横断しようと思って一、二歩出たときにまた右方を確認したところ、急に加害車両が走行してきたのを発見してすぐ衝突したと供述していることからすると、右方の確認をしたとしても、それが不十分と言わざるを得ない。したがって、右の原告の供述は、右方を確認したとしても、それが十分であったとの趣旨としては採用できない。

2  原告の過失割合

1で認定した事実によれば、被告は、歩行者横断禁止規制があるとはいえ、当然に、まったく歩行者が存在しないと信頼することまでは許されず、横断歩行者が存在する可能性があることも含めて前方を注視して運転する注意義務があったというべきである。ところが、被告は、これを怠り、歩行者が存在しないものと安易に信頼して原告の発見が遅れ、本件事故を発生させた過失がある。しかし、他方、原告にも、山手通りは交通量の多い幹線道路であり、歩行者横断禁止規制がなされているのであるから、そもそも、ここを横断してはならない注意義務があるのに、これを怠って横断を開始した上、右折車線を走行してくる車両の状況の確認が不十分なまま横断をした重大な過失がある(他に、横断歩行者が存在するからといって、過失の重大性は減殺されない。)。

この過失の内容、事故現場の状況、本件事故の態様などの事情を総合すれば、原告の過失割合は四五パーセントとするのが相当である。

3  過失を主張しない旨の合意について

原告が、過失を主張しない旨の合意を、再抗弁として主張するのか否かは必ずしも明確でないが、念のため判断する。

本件全証拠によっても、被告が過失を主張しない旨の合意をしたと認めるには足りないし、そもそも、過失相殺の要否及びその割合は、裁判所が裁量で判断をなし得るものであるから、仮に、過失相殺の要否や割合について当事者間で合意がなされたとしても、裁判所はそれに拘束されない。

したがって、いずれにしても、原告の主張は理由がない。

二  原告の損害(費目の後の括弧内は原告が主張する金額である。)(争点2)

1  治療費(一一九万三七九〇円) 一一八万一一九〇円

原告は、城南病院の治療費として、一一八万一一九〇円を負担した(甲五の1、3、5ないし9)。

2  入院雑費(六万三〇〇〇円) 五万四六〇〇円

入院雑費としては一日あたり一三〇〇円の四二日分で五万四六〇〇円を相当と認める。

3  入通院交通費(四万八四六〇円) 四万八四七〇円

原告は、入院中、正月や休日に帰宅して外泊するため、タクシー代として一万四〇七〇円を負担した(甲二〇の1ないし3、二一ないし二九)。

原告は、城南病院へ通院する際、バスを乗り継ぎ一日あたり往復八〇〇円、通院四三日で合計三万四四〇〇円を負担した(甲一九)。

4  休業損害(二八三万七一八〇円) 一四九万〇六六二円

(一) 基礎収入について

前提となる事実に加え、証拠(甲一八、三二、三五、原告本人)によれば、原告(昭和二三年八月二〇日生)は、昭和五九年二月から中国料理店を経営していたが、妻が病気で入退院を繰返すようになったことから、平成八年一月に店舗を閉店したこと、その後、知人の助言や協力を得て同年一二月九日から「ラーメン太郎」を開業し、本件事故当時は一人で働いていたこと、ラーメン一杯を平均六〇〇円から六五〇円としていたが、開店日には宣伝のため一杯一〇〇円としたこと、平成九年二月三日に退院した後、多少は店舗を開いたが、思うように利益が上がらなかったため、まもなく閉店したことが認められる。

ところで、原告は、「ラーメン太郎」を開業してから本件事故に遭うまでの間の一六日間に五一万七六五〇円を売上げ、その仕入代金が一六万〇二〇六円かかったので、一日あたり二万二三四〇円の利益を得ていたと主張し、売上げについては、これに沿う証拠(甲一六[原告作成の「ラーメン太郎売上状況」と題する書面]、一八[原告作成の陳述書])がある。

この甲第一六号証について、原告は、売上額を毎日残しており、これを前提に作成したが、その売上額を残したものは現在は存在していないと供述する(原告本人)。しかし、原告は、甲第一六号証の内容について、売上額は、麺の玉の数の記録を残しておいたので、それで分かると供述する一方で、現金を支払ってもらったときに売上額を残しているのでそれにより売上額が分かるとも供述するなど、必ずしも説明が一貫しているとはいえない。また、そうした甲第一六号証を裏付けた資料が本件訴訟でまったく提出されていないことをも併せて考えると、甲第一六号証の記載内容及びこれに関する甲第一八号証の説明部分は直ちには採用できない。

また、本件事故に遭うまでの仕入代金について、合計一七万六〇四五円を支払った旨の領収証が証拠として提出されているが(甲一五の1ないし28)、これには、試作品を作るための材料の仕入れ分も含まれているとのことであり(原告本人)、それを前提にする限り、売上げに対する経費としての仕入代金は、もう少し少ないということになる。しかし、そもそも、右に認定した合計仕入代金が、開店後事故に遭うまでの期間に必要とされた材料費等のすべてか否かはわからない。また、他に店舗の賃料や光熱費等の経費もかかるはずであるのに、そのうち、賃料が月額一一万円である(甲一七)ほかは、どの程度の経費がかかっているのかも明らかでない。

以上によれば、原告が一日あたり二万二三四〇円の利益を得ていたとは認めるには足りない。また、原告作成の陳述書(甲三三)によれば、以前中国料理店を経営していた当時は年間一〇〇〇万円程度の収入を得ていたとのことであるが、これを裏付ける証拠もない。

そこで、原告の基礎収入についてどのように判断するかであるが、原告の「ラーメン太郎」の売上額は、原告の主張によってもせいぜい一六日間で五一万七六五〇円であるから、この売上額から、前記の仕入額と賃料の合計額を差引き、さらに光熱費等を若干考慮して差し引くと、一六日間で二二万円程度(年間に換算すると約五〇一万円程度)の利益を得ていたことになる。そして、前記のとおり、売上額が原告が主張するとおりであると認めるには足りず、他方、仕入額は、試作品の仕入れ分も含んでいるとはいえ、前記認定額以上にかかっている可能性もあること、開店直後の一六日間を上回る利益を得る蓋然性が高かったと認めるに足りないこと(一般に開店直後の売上は、比較的高めになることが一般と考えられるから、平均六〇〇円から六五〇円程度のラーメン一杯を一〇〇円とした日があったことを考慮しても、開店後まもなくそれ以上の利益を上げることができたとまでは推認できない。)を総合すれば、原告は、平成八年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計の全労働者の平均賃金である年間四九五万五三〇〇円(当裁判所に顕著な事実)を下らない収入を得ることができたと認めるのが相当であり、それ以上の収入を得ることができたとは認めるに足りないというべきである。

(二) 休業期間及び休業割合について

原告は、本件事故の翌日である平成八年一二月二五日から平成九年四月末日までの一二七日間は休業を余儀なくされたと主張する。

原告は、平成九年二月三日に退院した後、同年四月末日までの間に、同年二月に八日、同年三月に九日、同年四月に八日の合計二五日城南病院で通院治療を受けた(甲五の5ないし7)。

既に認定したとおり、原告は、退院後に少し開店しており、まもなく閉店したことからすると利益が上がったか否か定かではないが、まったく利益がなかったと認めるに足りる証拠はなく、現実に働いていたことは無視できない。このように、減収分の具体的金額は明らかでなく、そうであれば、労働能力の制限の程度に従って休業損害を算定せざるを得ない。そして、右に認定したこの治療経過(特に、同年四月末日時点でも、退院後三か月と経過していないこと)、残存した後遺障害の程度を併せて考慮すると、平成八年一二月二五日から平成九年二月三日までの四一日間は一〇〇パーセント、その後、同年四月末日までの八六日間は八〇パーセントの限度で労働能力の制限を受けたと認めるのが相当である。

(三) 休業損害の算定

(一)及び(二)を前提に、原告の休業損害を算定すると、一四九万〇六六二円(一円未満切り捨て。以下同じ。)となる。

(計算式)

4,955,300×(41+86×0.8)/365=1,490,662

5  開店準備費用(一三五万四二八〇円) 認められない

原告は、「ラーメン太郎」の開店準備のため、保健所登録、内装工事及び什器備品の購入等のため、合計一三五万四二八〇円を負担した(甲七ないし一四、弁論の全趣旨)。

開店準備に費やした費用は、本件事故以前にすでに出費をなしているものであり、本件事故との間には、それに遭わなければ出費を免れるとの関係にないから、この費用は本件事故と相当因果関係がない。

もっとも、開店から閉店までの期間からすると、本件事故は、少なくとも、「ラーメン太郎」の早期の閉店に影響を与えたといわざるを得ず、この点で、開店準備のために用意した物等について、支出した費用に見合う利用をできなかったことは否定できない。したがって、この点は、慰謝料で考慮する。

6  休業期間の固定費(五五万〇〇〇〇円) 一五万四〇〇〇円

原告は、本件事故後の平成九年四月まで「ラーメン太郎」の家賃を支払続けていたと主張し、これに沿う証拠(甲一八[原告作成の陳述書]、原告本人)がある。

これらの証拠はいずれも原告の説明にすぎず、他には、家賃が月額一一万円であることを裏付ける証拠(甲一七)があるのみであるが、原告は、本件事故後そのまま入院しており、退院後も多少開店していたとして、休業損害においては、むしろ不利益になりかねない事実を自認していること、退院後三か月弱程度という期間であること、平成九年四月より前に賃貸借契約を解約したと疑わせる証拠はまったくないことに照らすと、右の陳述書及び原告本人の供述は、平成九年四月まで店舗の賃貸借契約を締結していたとの限度では採用できる(家賃を支払続けていたと認めるに足りる証拠はないが、支払っていなければ、賃料債務を負担していることになるだけで、原告に負担がある点では変わりはない。)。

もっとも、原告は、退院後も、開店していたことがあることは認めているのであるから、その間の固定費である賃料は損害とはいえない。したがって、「ラーメン太郎」の存続、維持のために必要な本件事故と相当因果関係のある固定費としては、入院期間中である四二日間の限度でこれを認めるのが相当であるから、月額一一万円の四二日分で一五万四〇〇〇円となる。

7  逸失利益(一三三四万四四二九円) 八一〇万九四九七円

原告は、一日あたり二万二三四〇円の収益を上げていたことを前提に、これを三六五倍した年間八一五万四一〇〇円を基礎収入とし、症状固定時から一八年間にわたり、一四パーセントの労働能力を喪失したと主張し、ライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して算出した一三三四万四四二九円を逸失利益として主張する。

ところで、証拠(甲6、原告本人)によれば、原告は、右膝関節に常時疼痛があり、長時間直立しているとそれがひどくなり、そのため、他方の足に力を入れるせいか、バランスが悪く腰痛も生じていること、現在、和食の店を開店して経営していることが認められる。

原告は症状固定時四八歳であり、本件事故に遭わなかったとすれば、少なくとも、六七歳までは働くことができたというべきである。そして、右に認定した事実に加え、後遺障害として自賠責で認定を受けた等級をも総合して判断すると、原告は、症状固定後一八年間にわたり(症状固定日は四八歳と約一〇か月であり、原告は労働能力喪失期間を一八年間と主張するので、当裁判所もその期間の限度で認める。)一四パーセントの労働能力を喪失したというべきである。

したがって、事故当時の収入として認定した年間四九五万五三〇〇円を前提に、ライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除し(係数は一一・六八九五)、原告の逸失利益を算定すると、八一〇万九四九七円となる。

(計算式)

4,955,300×0.14×11.6895=8,109,497

8  慰謝料(五〇〇万〇〇〇〇円) 五五〇万〇〇〇〇円

本件事故の態様、原告の入通院期間、後遺障害の内容及び程度、原告は、開店したラーメン店をわずか数か月で閉店することになったこと、この開店準備のために、少なくとも一三五万四二八〇円の金額を費やしていること等の事情を総合すれば、慰謝料としては、五五〇万円を相当と認める。

9  過失相殺及び損害のてん補

1ないし8の合計金額である一六五三万八四一九円から、原告の過失割合である四五パーセントに相当する金額を減額すると、九〇九万六一三〇円となる。そして、この金額から、原告が自賠責保険及び被告から受領した三八三万七四八九円を差し引くと、五二五万八六四一円となる。

10  弁護士費用(二〇〇万〇〇〇〇円) 二五万〇〇〇〇円

原告は、当初、弁護士溝辺克己を訴訟代理人として本件訴訟を提起したが、第一回口頭弁論に引き続き、第一回ないし第五回の各弁論準備手続が実施された後に、右訴訟代理人を解任し、その後、第六回、第七回の各弁論準備手続、第二回、第三回の各口頭弁論は、原告自ら行って本件訴訟の口頭弁論は終結した(当裁判所に顕著な事実)。

この審理の経過、認容額などの事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、二五万円を相当と認める。

第四結論

以上によれば、原告の請求は、自賠法三条に基づく損害金として五五〇万八六四一円と、これに対する平成八年一二月二四日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 山崎秀尚)

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